フィリポ (Philip)
(?〜?)

 十二使徒。ガリラヤのベトサイダ出身。洗礼者ヨハネの下からアンデレともう一人の弟子、そしてペトロがイエスの弟子となった翌日、ガリラヤに向かうイエスに召されて弟子となった(ヨハ1:43)。アンデレとともにギリシア名をもつ弟子の一人。娘が二人いたとされる。

 『ヨハネ』では、五千人に食べ物を与える場面(ヨハ6:5)に現れる他、ナタナエルをイエスの下に伴い(ヨハ1:45)、イエスに会いたいと願ったギリシア人をアンデレと共にイエスに導いた(ヨハ12:20)。
 また、最後の晩餐の際に「主よ、わたしたちに御父をお示しください。そうすれば満足できます。」と願い、イエスを理解していないことでイエスに叱責されている(ヨハ14:8)
 共観福音書では十二使徒の召命の場面、『使徒言行録』でもマティア選出の場面に登場するのみ。

 イエスの死後の事跡は不明だが、二十年に渡ってスキュティア(ウクライナ)に伝道したとされる。異教徒に捕らえられて軍神マルスの立像に香を捧げるよう強要されたが、像の下から現れた竜を言葉だけで追い払い、病人や死者を癒したことでその地の人々を信仰に導いた。その後、小アジア・フリュギアのヒエラポリスでエビオン派キリスト教徒を根絶やしにし、87歳の時に二人の娘と共に十字架に架けられ、更にイシドルスによれば石打ちにされて殉教した。


(1) 祝日は5月3日(小ヤコブと同じ)。565年頃5月1日にローマの十二使徒大聖堂が献堂された折、フィリポと小ヤコブの遺骨が祭壇の下に安置されたため、西方教会では同時に祝われる。但し、『黄金伝説』の訳注では祝日を5月1日(1955年からは11日)としている。また、ギリシア教会では11月14日、アルメニア教会では11月日17日、コプト教会では11月18日。
 元々11月の祝日だったものが、ローマでは大聖堂献堂に合わせて変更され、その後更に変えられたのだろうか。経緯など情報募集。
(2) T十字に架けられて処刑されたとも云われ、ラテン十字かT字十字のついた杖の他、竜、巻物などを標章とする。
(3) 七人の助祭の一人にもフィリポがおり、四人の娘がいてカイサリアで永眠したとされるが、エウセビオス以来二人のフィリポはしばしば混同されている。『聖書人名辞典』ではフィリポに関する伝説は無く、スキュティアで伝道しフリュギアで殉教したフィリポは執事(助祭)の方のフィリポだとしている。
(4) ナグ・ハマディ文書には、『フィリポ福音書』と呼ばれる文書があるが、福音書でも無ければフィリポに関係も無いヴァレンチノ派グノーシスの文書である。名前の由来となった末尾の文は書かれた文の違いから後代の付加と考えられる。
(5) 名前の由来は、ギリシア語の愛する(philein)と馬(hippos)から馬を愛する者を意味する。マケドニアで多く使われ、アレクサンダー大王の父がフィリッポス二世である。