東方の三博士 (Magi)
(?〜55?)

 『マタイによる福音書』によれば、イエスの誕生を祝福した占星術の学者たち。(マタ2:1〜12)異邦人が回心してキリストに至ることの予兆とされている。
 東方で星を見てイエスの誕生を知った学者たちは、エルサレムを訪れてヘロデ大王(アスカロニタ)に「ユダヤ人の王」の居場所を尋ねる。王やエルサレムの人々は不安になったが、王は生まれた子について調べて報告するように命じて『ミカ書』にメシアの誕生が預言されていたベツレヘムに送り出した。
 学者たちは星の導きによってヨセフ家族のいる家に辿り着くと、幼子イエスを拝み、黄金、乳香((フランキンセンス)香料)、没薬((ミルラ)香料・医薬品)を贈り物として献げた。ところが「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったため、学者たちは別の道から自分の国へ帰国し、更に天使がヨセフに「ヘロデがイエスを殺そうとしてる」と夢の中で告げたため、ヨセフは妻子を連れてエジプトに逃れ去った。ヘロデは学者たちに騙されたことに怒り、ベツレヘムとその周辺にいた二歳以下の男子を虐殺する。

 聖書にはそれ以上の記述は無いが、3世紀頃から三種の宝物から三人の博士と呼ばれるようになり名前が与えられると、6世紀頃からは東方諸国の王とされ、更に12世紀頃からは、老年、壮年、青年の三年代、またヨーロッパ、アジア、アフリカの三大陸の象徴として年の若い一人を黒人に描き分けられるようになった。

 伝説によれば、その後、彼らの元を訪れた使徒トマスによって洗礼を受けてキリスト教の良き協力者になり、司教職に任ぜられて、54年の降誕祭を祝った翌年に没したと云われる。

ヘブル語名アッペリウスアメリウスサラキン
ギリシア語名ガルガラトマガラトダマスクス
ラテン語名カスパールバルタザールメルヒオール
象徴象徴や対応はそれぞれ異同がある。
黄金:王権の象徴乳香:神権の象徴没薬:死と埋葬の象徴
老人壮年青年
アジアアフリカヨーロッパ
インド王アラビア王ペルシア王

贈り物の意味・暗示
黄金神への愛至高の王への貢物貧窮のため
高貴な神性マナ
乳香敬虔な祈り神への供物馬小屋の悪臭のため
敬虔なたましい十戒の石板
没薬肉欲の否定死すべき人間への埋葬幼子に力をつけ害虫を駆除するため
清らかな肉体アロンの杖


(1) マギ(Magi)はギリシア語マゴス(Magos)に由来するマグス(Magus)の複数形であり、英語のメイジ(Mage)、マジック(Magic)等の語源。元来はペルシア宗教における祭司で、占星術に長けていたとされる。そこから東方出身の占星術師、占術師などがMagosと呼ばれるようになった。否定的な意味でペテン師、偽預言者も意味する。
(2) コンスタンティヌス帝の母ヘレナ大后が三人の遺骨とされるものを発見し、コンスタンティノポリスの聖ソフィア寺院に運ばせたが、ミラノの司教聖エウストルギウスに請われてミラノに贈られた。そのために作られたと云うミラノの三聖王教会(現・聖エウストルギオ教会)にはその時の石棺が現存するらしい。その後、ミラノが赤髭王フリードリヒ1世によって征服された際にドイツのケルン大聖堂に運ばれた(1164年)。その頃から三博士はドイツを中心に信仰され、毎年7月24日には聖遺骨移居の祭りが行われていると云う。また、ヒルデスハイム大聖堂にはそこから分けられた指の骨が、ミラノの聖エウストロギオ教会には1904年に分骨された遺骨の一部が納められていると云う。
(3) アルメニアでは12人いたという説もあるようだ。
(4) 三博士の訪問を記念する公現(顕現)(Epiphania)は、誕生から13日後の1月6日。元々は東方で祝われたイエスが洗礼を受けた神現日(Theophania)であったが、次第に公現の日として祝われるようになった。同じ日に婚礼で水をぶどう酒に変え(Bethphania)、5個のパンで5千人を食べさせた(Phagiphania)神性顕現の日でもあったが、現在は三博士の公現の日として祝われる。
(5) 彼らは聖人ではないが、『マギの礼拝(The Adroration of the Magi)』などとして好んで絵画などに描かれる。
 三人の特徴や象徴については年代や地域によって異同があり、3人それぞれが黒人で表され得る。カスパールが黒人の若者、バルダザールが老人として描かれるのは、ヨハネス・フォン・ヒルデスハイム(1310頃-75)の『三聖王伝説(聖なる三国王の歴史)』という物語に由来するようだ。
(6) 旧約の預言書にある「王たちは見て立ち上がり、君候はひれ伏す(イザ49:7)」、「国々はあなたの照らす光に向かい 王たちは射し出でるその輝きに向かって進む(イザ60:3)」「らくだの大群、ミディアンとエファの若いらくだが、あなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆、黄金と乳香を携えて来る。こうして、主の栄誉が宣べ伝えられる。(イザ60:6)」といった預言の成就とみなされて、彼らが王であると考えられた。
(7) マルコ・ポーロの『東方見聞録』によれば、ペルシアのサヴァという街から来た彼らは宝物の代わりに箱に入った小石を授かったが、堅く信仰を保つようにというその意味が分からずに小石を井戸に投げ込んだ。するとそこから火が起こり、サヴァでは拝火教を信じるようになったのだと云う。彼らは三人の王として葬られ、その遺体は腐ることが無かったと云う。街は現存するが、その墓や遺体は今では分からない。(サヴァ、エヴァ、?という街の出身。同市は現存するらしいが記述はイザヤ書に由来するものか?)
(8) ヘロデ大王(アスカロニタ)(在前37-4)が子供を虐殺したという事実は記録されていないが、三博士が訪問した当時、ヘロデ・アスカロニタには6人の子供がおり、うち2人は王位を巡って争って放逐されたためにローマ皇帝に父王の不正を訴えるなど、当時のヘロデ王は王位を脅かされていた。三博士に欺かれた直後に相続権について皇帝の召喚を受けたヘロデ王は、ローマでの論争の結果、相続者を自由に決められるという判決を得て帰国する。1年が経っていたことから、生まれた王は1歳過ぎになっていると考え、2歳以下の子供を殺させたと云われる。
(9) 最近では、『新世紀エヴァンゲリオン』の3基のスーパーコンピューター・マギ・システムの名前として使われたことで知られる。