† 結婚・夫婦
Marriage・Couple


結婚

 主なる神は言われた。
 「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」(略)そして、人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられた。主なる神が彼女を人のところへ連れて来られると、人は言った。
 「ついに、これこそ
  わたしの骨の骨
  わたしの肉の肉
  これをこそ、女(イシャー)と呼ぼう
  まさに、男(イシュ)から取られたものだから。」
 こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。(創世2:18)
 「(略)だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(マタ19:5)


 結婚はすべての人に尊ばれるべきであり、夫婦の関係は汚してはなりません。神は、みだらな者や姦淫する者を裁かれるのです。(ヘブ13:4)

夫婦

 そちらから書いてよこしたことについて言えば、男は女に触れない方が良い。しかし、みだらな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい。妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同じように、夫も自分の体を意のままにする権利を持たず、妻がそれを持っているのです。互いに相手を拒んではいけません。ただ、納得しあったうえで、専ら祈りに時を過ごすためにしばらく別れ、また一緒になるというなら話は別です。あなたがたが自分を抑制する力がないのに乗じて、サタンが誘惑しないともかぎらないからです。もっとも、わたしは、そうしても差し支えないと言うのであって、そうしなさい、と命じるつもりはありません。わたしとしては、皆がわたしのように独りでいてほしい。しかし、人はそれぞれ神から賜物をいただいているのですから、人によって生き方が違います。
 未婚者とやもめに言いますが、皆わたしのように独りでいるのがよいでしょう。しかし、自分を抑制できなければ結婚しなさい。情欲に身を焦がすよりは、結婚した方がましだからです(一コリ7:1)。
 既婚者については、神によって離婚が禁じられていること、パウロの意見として、未信者の配偶者についてはキリスト教徒の配偶者故に聖なる者とされることから、キリスト教徒の側から離婚すべきではないことを勧告する。
 また、終末が近いと信じられていたことから、困難を前に世の事に心を遣って神への信仰が疎かにならないように独身の者は独身を保ち、しかし既婚者は敢えて離婚することの無いようにと意見を加える。


 キリストに対する畏れをもって、互いに仕え合いなさい。妻たちよ、主に仕えるように、自分の夫に仕えなさい。キリストが教会の頭であり、自らその体の救い主であるように、夫は妻の頭だからです。また、教会がキリストに仕えるように、妻も全ての面で夫に仕えるべきです。夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。(略)いずれにせよ、あなたがたも、それぞれ、妻を自分のように愛しなさい。妻は夫を敬いなさい(エフェ5:21)。

出産

 神は御自分にかたどって人を創造された。
 神にかたどって創造された。
 男と女に創造された。
 神は彼らを祝福して言われた。
 「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地を這う生き物をすべて支配せよ。」(創世1:27)


 しかし婦人は、信仰と愛と清さを保ち続け、貞淑であるならば、子を産むことによって救われます。(テモ2:15)

離婚

 それは、主があなたたちとあなたとの若いときの妻との証人となられたのに、あなたが妻を裏切ったからだ。彼女こそ、あなたの伴侶、あなたと契約した妻だからである。主は、霊と肉とを持つひとつのものを造られたではないか。そのひとつのものが求めるのは、神の民の子孫ではないか。あなたたちは、自分の霊に気をつけるが良い。
 あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。
 わたしは離婚を憎むとイスラエルの神、主は言われる。
 離婚する人は、不法でその上着を覆っていると
 万軍の主は言われる。
 あなたたちは自分の霊に気をつけるがよい。
 あなたたちは裏切ってはならない。(マラ2:14)


 (なぜモーセは離縁を赦したのか?)
 イエスは言われた。
「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。言っておくが、不法な結婚でもないのに妻を離縁して、他の女を妻にする者は姦淫の罪を犯すことになる。」
 弟子たちは、
「夫婦の間柄がそんなものなら、妻を迎えない方がましです。」と言った。
 イエスは言われた。
「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれたものだけである。結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる者は受け入れなさい。(マタ19:8)

中絶

 主の言葉がわたし(エレミヤ)に臨んだ。
 「わたしはあなたを母の胎内に造る前から
  あなたを知っていた。
  母の胎から生まれる前に
  わたしはあなたを聖別し
  諸国民の預言者として立てた。」(エレ1:6)
  •  カトリックでは、夫婦に喜びと満足をもたらすものとして性交渉を認めています。しかし、淫行、ポルノ、自慰、売春などは姦淫の罪として禁じおり、道具を使った避妊や人工中絶、人工授精も結婚〜生殖という結婚の意味を失わせるとして禁じています。ちなみに、有名なオナンが罰せられたのは自慰ではなく外出しだったりします(創世38:9)。要は、デキるのが嫌なら、安全日に中出しでヤれ、デキたら産めってことです。(配偶者限定)
  •  『マタイ福音書』「だれもがこの言葉を受け入れるのではなく、恵まれた者だけである。」カトリックでは、「恵まれた者」を「天の国のために結婚しない者」と解釈し、修道院の規定や司祭独身の根拠としているようですが、指示語が何を示すのか議論の分かれるところのようです。文脈から判断すれば、離婚も再婚もしない幸せな結婚生活を送ることができるのは、恵まれた者だけです、と読むのが自然だと思いますが…。
  •  『コリント信徒への手紙一』当時のコリントが奔放な町であったことの反動か、禁欲的な生活をすべきとの考え方があったコリント信徒が、非婚など現世を否定する禁欲的な異端信仰に流れることのないよう配慮し、結婚が罪悪ではなく、情欲を抑えるためには拒否すべきではないこと、結婚も非婚も神の賜物と認め、無理に禁欲的生活をすべきではないことを勧めている。
     最初の「男は女に触れない方が良い」との言葉は、パウロの意見ではなく、コリント信徒からの問い掛けの引用との説もあり、判断が争われているようですが、パウロ自身は独身(離別?)であったこともあり、独身のまま神に仕えることがより良いと信じていたようです。
  •  なお、初期キリスト教においては、パウロの言葉を受けて、結婚や性的関係を罪悪とする考え方も長く持ち続けられていた。しかし、結婚は神がエヴァをアダムの助け手として創造されたように助け合い、『エフェソ信徒への手紙』で語られるように互いに仕え合い、愛し合うものであり、同時に『コリント信徒への手紙一』でパウロが語ったようなみだらな情欲を正常な関係に帰する方法でもある。また、『テモテへの手紙一』によれば貞淑な婦人は子を産むことによって救われ、『創世記』の「産めよ、増えよ、地に満ちよ。」との言葉に従う子孫繁栄の手段ともなる。