† 福音書対照表 5
Gospel
たとえ話

テーマ内容 マタイマルコ ルカヨハネ
「種を蒔く人」のたとえ・説明  種を蒔いたが、ある種は道端に落ちて鳥に食べられ、土に落ちても土が浅いので枯れたり、茨の間で実を結ばなかった。良い土地に落ちた種は実を結び、三十倍や百倍にもなった。
 種は神の言葉であり、悟らない人は悪魔が御言葉を奪い去り、受け入れても根が無いのですぐにつまづいたり、この世の思い煩いや欲望にふさがれて実を結ばない。御言葉を信じて受け入れる人は何倍もの実を結ぶ。
御言葉を聞いて悟る人。
13:1-23
御言葉を受け入れる人。
4:13-20
立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐する人。
8:4-15

(たとえを用いて話す理由)  弟子たちがなぜ群集にはたとえで話すのかと問う。イエスは弟子たちには神の国の秘密を語ることが許されているが、外の人々はイザヤの預言にある「見ても認めず、聞いても理解できない」ようになるためと答える。 あなたがたは幸いだ。多くの預言者や正しい人たちは、あながたが見聞きしたものを、見聞きしたかったができなかったのである。
13:10-17
4:10-128:9-10
「ともし火」のたとえ  ともし火は器や寝台の下ではなく燭台の上に置く。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められているもので公にならないものはない。 (そのようにあなたがたの光を輝かしなさい。それを見た人が天の父を崇めるようになるように。
5:14-16)
自分の量る秤で量り与えられ、持っている人は更に与えられ、持っていない人は取り上げられる。
4:21-25
持っている人は更に与えられ、持っていない人は取り上げられる。
8:16-18

「成長する種」のたとえ  神の国は、人の知らないうちに育つ種のようである。土がひとりでに実を結ばせ、収穫の時に刈り取る。
4:26-29

「毒麦」のたとえと説明  人が良い種を蒔いたが、寝ている間に敵が毒麦を蒔いた。僕は育った毒麦を抜こうかと言うが、主人は一緒に麦も抜くかもしれないから、両方とも育てて、刈り入れの時に毒麦を集めて焼くように言いつけようと答える。良い種を蒔く人は人の子、畑は世界、種は子ら。敵は悪魔、刈り入れは世の終わり、刈り入れる人は天使。 13:24-30、36-43


「愚かな金持ち」のたとえ  貪欲に用心するように。ある金持ちが、溢れる収穫物や財産を倉にしまってその蓄えで何年も楽しもうと考えるが、神は今夜命を取り上げられると言われた。自分のために富をつんでも、神の前に豊かにならない者はこうなる。

12:13-21
忠実な僕と悪い僕  使用人の上に立てた管理人が、忠実に言われたとおりにしているのを見た主人は、彼に全財産を管理させるに違いない。だが、主人は遅いと思い、仲間を殴り、飲んだり食べたりしていると、主人は予想もしない日に帰ってきて、彼を罰する。 24:45-51
主人の思いを知っていれば酷く打たれるが、知らなければ少しで済む。
12:41-48

「実のならないいちじくの木」のたとえ  ぶどう園にいちじくの木を植えたが、三年も実がならなかった。切り倒すように言う主人に対し、園丁は今年もこのままにし、こやしをやって駄目なら切り倒すようにと答える。

13:6-9
「からし種」と「パン種」のたとえ  天の国はからし種に似ている。小さいのに成長すると空の鳥が巣を作るほどの木になる。天の国はパン種に似ている。粉に混ぜると全体が膨れる。 13:31-33「からし種」のたとえのみ
4:30-32
13:18-21
たとえを用いて語る  イエスは、人々の聞く力に応じて、たとえを用いて語り、たとえを用いずに話すことはなかった。 それは預言されたこと(詩篇78:2)が実現するためだった。
13:34-35
弟子たちにはひそかにすべてを説明した。
4:33-34


「天の国」のたとえ  畑に隠されている宝を見つけた人は、持ち物を売って宝の隠れた畑を買う。真珠を探している商人は、高価な真珠をひとつ見つけると持ち物を売り払ってそれを買う。網がにかかった色々な魚を引き上げ、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにも天使が悪い者をより分けて炉に投げ込む。 13:44-50


「羊の囲い」のたとえ  羊の囲いに入るのに、門を通らないで来る者は強盗。門番は羊飼いには門を開き、羊は羊飼いの声を聞き分ける。


10:1-6
「大宴会」のたとえ  ある人が宴会に大勢の人を招いたが、皆理由を付けて断った。主人は怒り、町で誰でも良いから連れて来させた。招かれた人の中で、わたしの食事を味わう者は誰もいない。 22:1-14
王子の婚宴。呼ばれた人が家来を殺したりしたので、彼らを滅ぼした。婚宴に来た者の中に礼服を着てない者がいたので、王は彼を追い出した。招かれる人は多いが選ばれる人は少ない。
14:15-24

「迷い出た羊」のたとえ  百匹のうち一匹が迷い出たら、九十九匹を残して探しに行かないだろうか。そして見つけたら迷わずにいた羊より、その一匹のことを喜ぶだろう。小さな者が一人でも滅びることは天の父の御心ではない。 18:10-14
罪人と一緒に食事をしているという批判への答。悔い改める一人の罪人には、その必要の無い九十九人より大きな喜びがある。
15:1-7

「無くした銀貨」のたとえ  十枚の銀貨のうち一枚をなくしても、探して見つければ喜ぶ。一人の罪人が悔い改めれば、神の天使の間にも喜びがある。

15:8-10
「放蕩息子」のたとえ  父の財産の分け前を貰った弟はそれを遠い国で放蕩し使い果たした。飢え死にしそうになって雇い人になるつもりで家に帰ったが、父は一番良い服を与えて子牛を屠って祝った。兄は自分は宴会に子山羊すらもらえなかった事に不平を言ったが、父は兄はいつも一緒にいるが、死んだ弟が生き返ったのを喜ぶのは当然だと答える。

15:11-32
「不正な管理人」のたとえ  主人に会計の報告を出すように言われた管理人は、追い出されても迎えてくれる場所を作るために主人に借りのある人たちの証文を書き換えさせた。主人は不正な管理人の抜け目ないやり方を褒めた。
 不正にまみれた富で友達を作れば、金がなくなったときに永遠の住まいに迎え入れてもらえる。小さなことに忠実な者は大きなことにも忠実。不正にまみれた富に忠実でなければ、本当に価値のあるものを与えてくれるだろうか。
 二人の主人に使えることはできない。神と富に仕えることはできない。
二人の主人に仕えることはできない。6:24
16:1-13
「やもめと裁判官」のたとえ  人を人とも思わない裁判官でも、うるさいやもめのために裁判をしようと考える。神は昼も夜も叫び続けている者のために速やかに裁く。しかし人の子が来るとき、地上に信仰を見出すだろうか。

18:1-8
「ファリサイ派と徴税人」のたとえ  二人が神殿に行った。ファリサイ派の人は不正を行ったり徴税人でないことを感謝し、律法に従っていることを祈り、徴税人は遠くに立って自らを罪人として哀れみを願った。義とされるのは徴税人である。高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。

18:9-14
「ムナ(タラントン)」のたとえ  ある人が王になるために旅に出る間、商売をするようにと一ムナ与えた。帰った時、一ムナで十ムナもうけた者には十の町を、五もうけた者には五の町を預けたが、厳しい王を恐れて一ムナをしまっておいた者は取り上げられて十ムナ持つ者に与えられた。持っている人は更に与えられ、持っていない人は取り上げられる。王になることを望まなかった者も打ち殺された。 五、二、一タラントンずつ預け、倍に増やした者にはより多くの管理を任され、一タラントンを隠しておいた者は取り上げられる。
23:14-30

19:11-27
「仲間を赦さない家来」のたとえ  何度まで兄弟の罪を赦すべきかと問うペトロにイエスは七の七十倍までもと答える。
 一万タラントンの借金を王に帳消しにしてもらった家来が仲間の百デナリオンの借金のためにその仲間を牢に入れた。王は怒って借金を返済するまでその家来を牢に入れた。
 心から兄弟を赦さないなら、天の父も同じようにするだろう。
18:21-35(七回罪を犯しても、七回悔い改めたら許してやりなさい。)
17:3-4


「ぶどう園の労働者」のたとえ  天の国はこのようにたとえられる。主人が夜明けに一日一デナリオンで人を雇った。九時、十二時、三時、五時にもそれぞれ雇い、全員に一デナリオン与えた。最初に来た者が不平を言ったが、主人は、自分のものをしたいようにしてはいけないのか、わたしの気前のよさをねたむのかと答えた。後にいるものが先になり、先にいるものが後になる。 20:1-16


「二人の息子」のたとえ  二人の息子にぶどう園に行くように言った。兄は断ったが考え直して行き、弟は承知したが行かなかった。どちらが父親の望みに適ったかとイエスが祭司長たちに問う。彼らは兄だと答えたが、イエスはヨハネが示した義の道を信じた徴税人や娼婦の方が、ヨハネを信じず、信じた徴税人を見ても考え直さなかった祭司長たちより先に神の国に入ると答える。 21:28-31


「ぶどう園と農夫」のたとえ  主人がぶどう園を任せた農夫たちは、主人の僕を殴りつけて追い返したり殺したりした。主人は愛する息子を送ったが、農夫は相続財産も手に入れようと息子を殺してしまった。主人は戻ってきて農夫を殺し、ぶどう園を他の人たちに与えるだろう。
『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。』祭司長たちは自分のことを言われた事に気付いて、イエスを捕らえようとしたが、群衆を恐れたため、イエスは立ち去った。
祭司長たちが、主人は農夫を殺して他の農夫にぶどう園を任せると答える。『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは主がなさったことでわたしたちの目には不思議に見える』神の国はあなたがたから取り上げられ、ふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。
21:33-46
『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは主がなさったことでわたしたちの目には不思議に見える』
12:1-12
農夫を殺すと言ったイエスに対し、祭司長たちは、そんなことがあってはならないと言う。
20:9-19

「十人のおとめ」のたとえ  十人のおとめが花婿を迎えに出る。花婿の到着が遅れ、おとめは眠り込んでしまった。愚かなおとめがともし火の油を買いに言っている間に、油の用意をしていた賢いおとめだけが婚宴の席に出られる。 25:1-13


テーマ内容 マタイマルコ ルカヨハネ